自宅用としてはもちろん、企業が配布するノベルティとしても人気の駄菓子は、昔から幅広い世代に愛されてきました。しかし、非常に身近な存在であるせいか、駄菓子の食文化や歴史について、くわしい知識を持っている方は意外と少ないです。そこでこちらでは、駄菓子好きの方ならぜひ知っておきたい、駄菓子の食文化と歴史についてわかりやすくまとめました。
子供から大人まで幅広い世代に愛される駄菓子の食文化
親から子へ、子から孫へと、何世代にもわたって駄菓子が愛され続けているのは、子供のお小遣いで気軽に購入できるリーズナブルな価格で提供されているためです。
駄菓子はほとんどの商品が10〜50円程度で販売されているので、小さな子でも購入しやすく、かつて日本のあちこちに存在していた駄菓子屋さんは子供たちのオアシスとして親しまれていました。
昔の駄菓子屋さんは駄菓子だけでなく、メンコやビー玉などのおもちゃ、もんじゃ焼きやお好み焼きといった軽食、醤油・小麦粉などの食品を販売しているところがほとんどでした。そのため、子供だけでなく大人が立ち寄ることも多かったようです。
現在は駄菓子屋さんの数そのものが減少し、街中で見ることはめったになくなりました。しかし、現存している駄菓子屋さんは昔と同じように街の人から愛されており、子供から大人まで幅広い世代の方が訪れています。
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誕生は江戸時代!駄菓子の歴史
駄菓子の歴史は古く、発端は江戸時代にまでさかのぼるといわれています。
今でこそ、甘味料といえば白砂糖が主流ですが、当時は白砂糖の使用が制限されており、茶席や贈答用の「上菓子」にしか用いられていませんでした。そこで庶民でも楽しめるようにと、麦やひえ、あわ、豆、くず米などに飴や黒砂糖をまぶして作られたのが「駄菓子」です。
当時は駄菓子という言葉はなく、「雑菓子」と呼ばれたり、江戸の町の入口を見張っていた番太郎という人物が副業で始めた黒砂糖のお菓子にちなんで「番太郎菓子」と呼ばれたりしていました。番太郎菓子は当時のお金でいうと銭1文(現代に換算すると約12円)程度で販売されていたことから、「一文菓子」とも呼ばれていたようです。
駄菓子の黄金期・昭和
明治末期あたりから、台湾やサイパンから砂糖が大量に輸入されるようになり、駄菓子の種類もだんだんと増えていきました。ところが昭和16年に太平洋戦争が始まると、食糧不足から駄菓子の製造もストップしてしまいます。
その後、戦争が終結して昭和24年に砂糖の統制が撤廃されると、第一次ベビーブームの影響もあり、駄菓子人気は瞬く間に広まって全盛期を迎えます。
ただし昭和末期になると、消費税の導入やコンビニエンスストアの台頭などにより、駄菓子屋は徐々に廃れ、今では稀少な存在となってしまいました。
そのぶん駄菓子で育ってきた大人の懐古主義がいっそう強まり、今ではネット通販を利用して駄菓子を大人買いし、親子で楽しむスタイルが人気を集めています。
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駄菓子は世代を超えて愛される庶民の嗜好品!ノベルティ・業務用として大量購入するなら通販を
江戸時代に庶民向けのお菓子として誕生した駄菓子は、昭和の全盛期を経て、現代に至るまで幅広い世代に愛されてきた歴史があります。今では駄菓子屋さんを街で見かけることも減ってきましたが、その人気は今なお衰えることなく、子供から大人まで笑顔にする大きな力を持っています。
1つあたりのコストが安く、かつ幅広い世代に喜ばれる商品ということもあり、駄菓子は企業のノベルティや販促品としても大人気です。
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